アルタッドに捧ぐ 金子薫
2/23の日経新聞「目利きが選ぶ今週の3冊」のコーナーで金子薫という作家の「鳥打ちも夜更けには」という作品が紹介されていました。タイトルとその内容に興味をもったため、早速アマゾン→kindle→購入→読書!といきたかったのだけれど、、、kindle版は6月からとのこと。私は一昨年前くらいからエッセイや小説は本では買わず、もっぱら電子書籍として購入しているので、しばし逡巡。ふとみると、同作家の「アルタッドに捧ぐ」という作品がkindle版で出ていたのでやむを得ず、それを購入することにしました。
小説家を志す青年がある小説を書いていて、なぜか想定外の展開となり「モイパラシア」という主人公を轢死(←このワードが出てくると、どうしても芥川の「歯車」を思い出してしまう…)させてしまう。青年は小説を自分で書いているのに、主人公を死なせてしまったことで動揺し、お墓を作ったり、なぜ死んだかを追究したり、、、精神的に参ってしまった感じになります。その後、小説が書けず(あるいは書かず)に現実世界とその逃避した世界であるアルタッドとの2人(一人と一匹)の世界を行ったり来たりする話です。
この話、すごく引きこまれます。
なぜなら、その話が小説中の現実なのか青年が作る「小説」の中のことなのか、また、この現実世界に実在する名称なのか、定かで無いからです。「よくわからんなー」と思いながら、(ときどきウィキペディアで語句を調べたりしながら)どんどん読んでしまいます。
しかし、読めば読むほど、なんだか、イライラもしてきます。意図的?と思いますが、主人公が青二才すぎます。私自身の過去にモラトリアムにどっぷり使っていた頃のことをまじまじと見るようで、、、目を背けたくなります。つまり、自分のだめなところを直視させられているようで、嫌悪感を抱かされます。生きるとか、死ぬとか、小説書くとか、書かないとか、時がくる、とか、、、揺れに揺れます。結果、青年の小説は書けたのか、、、それは読んでみないとわかりませんね。読めば、書いたか書いてないか、たとえ文章中に書かれていなくても結果はわかります。
すこし脇にそれますが、(ただ、これが自分としては結構「脇」ではない、という思いもあるのですが、)途中、ソニー・シャーロックという実在のフリージャズのミュージシャンが出てきます。そのミュージシャンが演奏する「バイレロ」という曲があります。その音楽が通奏低音のように物語のイメージを形作っています。とてもよい曲なので、是非聴いてみるといいです。フリージャズというジャンルのイメージは「熱狂しているがその熱狂は他者には理解し難い部分を持っている」と感じています。このイメージはこの小説と通じているかもしれません。決してメジャーにならないしなれない、そんなジャンルですが、音楽好きは一度はハマるんじゃないでしょうか?フリージャズ。
さて、この小説、本間という青年が主人公ですが、とても青二才です。この世間を知らない青二才を私は愛せません。しかし痛い目にあって変わっていくだろう、という期待を込めて見守りたい気持ちになりました。読者の年齢によって受け取り方が違うんじゃないかな、と思うところのある小説でした。
早く6月に「鳥打ちも夜更けには」がリリースされないかな〜。
reviewer : Junzo Kawai
学習塾Go'sという個別指導塾をやっています。
私立中学受験と中高生の学習指導をしています。
0コメント